ねえ、昔憧れなかった?
宝の島を目指す海賊船の、船底につまれたワインの樽。
動物達が作った巨大な森のパンケーキ。
飲んでみたいと一度は思ったはず。
弾ける気泡、透明な輝き。
妖精の森のどこかにあるというソーダー水の流れる滝。
「――って、全部食いモンじゃねーかよ」
「だ、だって………」
場所は阿部の部屋のベットの上。お風呂に入った後パジャマに着替えた二人は、壁を背に座りながらとりとめもない話をしていた。
いつも部屋に入るとすぐに恥ずかしい事を仕掛けて来る阿部に、たまには普通に話しがしてみたいと三橋がどもりながらもちかけたからだったが。しかし野球を離れてしまうと、二人の間に共通の話題は驚くほど少なかった。
服の趣味が違う。見るテレビも違う。勉強の話なんかしたくないというのだけは同じだったが、とにかく話す事がない。
全く別の人間なのだと、野球が無かったら出会ってもいなかったのだと、まさに実感させられるのはこんな時だ。
出会えた事を喜びながらも、少しだけ不安になる。
だからこそ阿部はいつだって三橋に触れていたいと思うのに。恥ずかしいからと躊躇う三橋がもどかしい。
この日手だけを素直に握らせながら、三橋がいつもの如く脈絡もなく喋り始めたのは、子供の頃憧れたもの、現実を知ってがっかりしたものってある? とかいう話だった。
意味が分からないと素っ気無く返した阿部に「た、例えば……」と何故か嬉しそうに説明を始める三橋。
絵本を読んで憧れた未知の食べ物たち。大きくなってそれらを口にする機会もあったが、期待したほど美味しくなかったり、見た目からして違っていたりと、どちらかというと憧れのままにしていた方が良かったと思うものも多かったと、三橋は一生懸命に語った。
「だ、だって、ワインは樽に入って…なかったし、パ、パンケーキは手の平っ、くらいしかないし……それにっ」
何かを言い掛けて、思い出したように顔を顰める。
「ソーダー水……辛くて、あんなの全然美味しくないし……」
そして冒頭の会話へと続くのだ。
「全く、ホントお前の頭にあるのって、野球と食い物のことだけだよな」
「ち、違うよ! あ、阿部君の事も――あ……」
阿部君の事だって考えてる、それとも阿部君の事が今は一番?
三橋の言いかけた言葉を色々と推測して、少し気分の浮上する阿部。
(こう云うところは可愛いんだよな)
素直で馬鹿な三橋。誤魔化そうとわたわたしているのを見ると、押し倒して滅茶苦茶に可愛がってやりたくなる。
だけど今日は取り敢えずその前に……。
「ちょっと待ってろ、三橋」
そう言って三橋を置いて部屋を出た阿部は、一階に下りると後片づけをしている母親に「後で金渡すって言っといて」と断り、サイダーのペットボトルを冷蔵庫から持ち出した。
五百ミリリットルのサイズのそれは、多分弟が買ってきたものだ。
ペットボトルを持って上に戻ると、オアズケを理解できない子犬のようにキョトンとした顔でまっていた三橋が、阿部の手にある物を見てまた、今度はどこか怯んだように顔を顰めた。
三橋が美味しくないと言っていた炭酸(ソーダー)水だが、けれど阿部は結構好きだったりする。特に喉を通る時の刺激がいい。
蓋を回すとポンと軽い音がたち、口元が緩む。
そしてシュワーと音の立つそれを軽く口に含むと、飲み込むのではなく、阿部はそのまま無防備な三橋に覆い被さった。
「……っ……んんっ」
ゆっくりと口移しで、冷たい炭酸水を三橋の喉へと流し込む。
「んっ……ん」
舌を使っての丁寧な口移しに、三橋は咽る事もなく喉をならす。
ゴクリ……と小さな喉仏が動き、大きな目が見開かれる。
「どうだ? 辛かったか?」
「―――〜〜っ」
唇を離すなりそう聞いた阿部に、三橋は口元を押さえながら小さく頷いた。
本当にそれだけかと、ペロリと舌で濡れた唇を舐めてやり、もう一度問い掛ける。
「あ、甘かった……少し」
「ふーん?」
三橋の好き嫌い克服に協力してやった後、阿部はそのお返しとばかりに、どこに触れてもビクビクと反応する、三橋の甘く敏感な身体を堪能した。
セックスは想像していたよりもずっと、気持ち良くて幸せな気分になるものだと改めて実感しながら。
ほんの一口飲まれただけで忘れ去られたサイダーは、机の上に置かれたまま。
翌朝には炭酸が抜けて、ただの甘い水へと変わっていた。
|