目が合って、にっこりと微笑まれる。
無視をするのも大人気無いので、取り敢えずその列に並ぶ。一番人が並んでいる列だが、一番早く進むのも知っているので特に不都合は無い。
「お疲れ様ですカカシ先生」
笑顔とお約束の台詞。先生と呼んでくるのは受付所でもこの中忍だけだ。
馴れ馴れしいと感じないでもなかったが、受付所以外で話し掛けてくる程立場をわきまえていない訳でもない。こちらも外で話しかけられたらそれなりの態度で接すればいいだけなので放っておいている。
たった一夜の体の付き合いで恋人面するような女もいるが、そういうのははっきりいってウザイ。勘違いされるような特別な態度など一度もとっていない筈なのだが、やはり里にいるとそういった面倒な人間関係とやらに巻き込まれてしまう事が多かった。
そういった意味では、イルカという男の持つ人への距離感は絶妙なものがあった。不快ではない程度の馴れ親しさ――それを良くわかっている。
他人とは、大きく三つに分類出来るものだとカカシは思っていた。
一つはまあまあ気に入っている相手。同僚の中でも足手まといにならない程度には使えて、尚且つ自分に干渉してこない付き合いやすい奴や、ひと時の快楽を提供してくれる、顔も体もプロ意識も特上の娼妓などがこれに入る。
もう一つははっきりと嫌いな相手。これは取り敢えず今は一人だけだ。ガイという存在から名前までが暑苦しい男で、勝手にカカシのライバルを名乗り、相手をしてやるまで何処までも追いかけてくる鬱陶しい奴。
そして最後の一つはどうでもいい奴ら――他人の九十九.九パーセントがここに入る。
うみのイルカという男は、本当なら当然の様に最後のそれに分類される筈の、なんてことはない、どこにでも居そうな平凡な男だった。
実際、担当する事になった下忍のチビ達が頻繁にその名を口にしなければ、名前すら覚える事はなかったろう。
そう――特にナルト。
「一番スキな物はー、イルカ先生に奢ってもらったラーメン!」
九尾の封印された器であり、里の者達に忌み嫌われた存在であるナルトに、ここまで執着される男。
究極の偽善者か、はたまた脳みそまで筋肉の熱血男か……。どちらにせよ好意を持つ理由は無かったが、それなりにクセのある人物を予想してはいた。
だから実際に会った時は、そのあまりの平凡さに気が抜けたような思いさえ味わった。
狐憑き?
――そんな事を言っている奴らの方がよっぽど何かに憑かれたような卑しい顔をしている。
火影のお気に入り?
――単に雑用を任せやすいだけなんじゃあ……。
期待ハズレ過ぎたせいか、かえって気になった。
こんな平凡な中忍にどうやったって好意は持てない。しかし名前を覚えてしまうくらいなので、どうでもいいとも言えないだろう。
基本的にカカシは、人の名前を覚えるという事をしない。覚えるのはよっぽど嫌いか気に入ったが、あるいは任務などでその必要がある場合に限られる。
カカシの三つの分類の何処にも属さない初めての人間。もしかしたらそれを人は、顔見知りとか知り合いとか呼ぶのかもしれないが、人間関係をまともに築いた事の無いカカシにとっては、それもある意味特別な存在には違いない。
しかし、たかが中忍――カカシにとってその力による分類は意識こそしなかったが絶対で、侮りは心の根深い部分に確かに存在した。
*
カカシとアスマと紅の三人に収集がかかったのは、下忍達を引き連れた任務を終えて、報告書を提出したすぐ後のことだった。
恐らくは任務が終るのを待ってのことだろう。つまりそれ程緊急な物ではないと、どこか軽い気持で火影の執務室に向かった三人だ。
部屋の中には火影以外に見慣れぬ二人の人物がいた。
(うわ〜生意気そうなガキ)
(あら、可愛いぼうやじゃない)
(……めんどくせぇ)
椅子に座った育ちの良さそうな若者を見て、三人が三人とも頭の中で程度の似たような事を思った。
その不遜な表情といい目付きといい、身分の高い者にありがちな傲慢さを見るからに漂わせ、しかしどこか真っ直ぐな気性を思わせる瞳でもって三人を見据えてくる。
その一〇代後半と思われる若者の横には、寄り添う様にして背の高い男が立っていた。こちらは無表情で何を考えているのかわからなかったが、何かの武術の遣い手であろう事は、その気配の感じられない静かな所作からも伺える。
「今回の任務の依頼人で、火の国主の傍系筋にあたる大名家のご子息――求馬殿と、その臣下の帆足殿じゃ」
その火影の紹介に対し、帆足は軽く頭を下げ、求馬という若君の方は、フン――とつまらなそうに一つ鼻をならして見せた。
「帆足……?」
カカシ達三人の注意を引いたのは、しかし若君のその生意気な仕草ではなく、無表情な臣下の名前の方だった。
「嵯巌の帆足――」
ぼそりとそうこぼしたのはアスマだ。
「まさか――あの有名な拳聖の……」
目の前の寡黙な人物が、拳聖などという大げさな名で形容される程の武術の遣い手であるとは俄には信じられず、紅も目を丸くする。
拳聖(もしくは剣聖)というのは六年ほど前に有名な放浪の武術家安彦仝山(あびこどうざん)が記した北方武術放浪記の中で、超一流の武術家とされる七人の人物に与えられた称号である。
武術はどちらかといえば北より南の方でより隆盛を見せていたが、それでも北で七つの指に入る程の遣い手ともなれば、かなりの実力者だと言えるだろう。
「木ノ葉の長、この者達は本当に遣えるのか?」
注目が自分ではなく部下の方に集まったのが気に入らなかったのか、若君は不機嫌そうにそう言うと、三人に疑いの目を向けてきた。
「問題ありませぬ。お供にはこの者達の内の二人と、東凌武闘大会に出場経験のある一名をお付けしましょう」
「こんな辺境に大会経験者が……」
仰々しいもの言いは実際には遣い馴れないものであったのか、感心する口調には素の言葉遣いが混じり、その表情にも一瞬だけ無邪気さが覗く。
「東凌武闘大会って……まさか」
紅が驚きで無意識に口元へと手をやった。
「そうじゃ、主らの内二人に、このお二方と共に阿南に赴き、東凌武闘大会に出場してもらう」
「まさかそこで優勝しろってんじゃ……」
東凌武闘大会といえば遥か南の方にある大国の主催で、数ある武闘大会の中でも、最も歴史と権威のあるものとして知られる武闘大会である。
こうした大会としては珍しく団体戦の形を取ってはいるが、毎回出る死者の数も一人や二人ではきかないという話は有名だ。
「優勝とまではいかなくていい。ただ…ある程度の結果は残す必要がある……」
そこで若君はぎこちなく言葉を濁した。
どうやら若さゆえの自惚れからきた、単なる実力試しなどといった理由だけでの暴挙ではないらしいと、カカシ達三人は多少考えを改めた。
しかしやはりどうしても無謀だとの感は拭えない。
裏の世界では名が通っていても、カカシ達は表舞台で闘った経験は皆無である。超一流の武闘家と呼ばれる者達の実力がどの程度のものなのか、それを知らぬ以上、簡単に安請合いはすべきではないとの思いがあった。
「もうこれは決定事項なんですか?」
「――そうじゃ。報酬も既に受け取っておる。更に、結果を残して無事お二人を連れ帰る事が出来れば――」
「――そのあかつきには、更なる報酬を約束しよう。もし優勝した時はその優勝賞金もだ」
火影の言葉の後を引取って若君は自信を持って言いきった。
「そりゃあ気前の良い事で……」
ぼそりとこぼしたアスマを紅が肘で突付く。
「後の詳しい事はワシから話そう。――お二方はどうぞ部屋でお休みを……今案内させますので」
「解った」
あくまで不遜に取り繕った態度を崩さぬまま、若君は火影の言葉に従った。結局一言も喋らなかった拳聖の方は、値踏みするような鋭い視線をちらりと一度だけ三人に向けた後は、守るべき主から一時も目を離そうとはしない。
そして火影の執務室には、火影とカカシ達三人のみが残された。
「詳しい事情とやら……説明していただきましょうか」
そう言ったカカシに促されるようにして火影が語った事情は、三人が想像した以上に切実なものだった。
「ここからは情報網を駆使して調べ上げた嵯巌のお国事情で、わし等が知っておることは求馬殿も知らぬ――」
嵯巌はかつての大戦で活躍した武人を祖とした大名の治める武の国である。帆足を始めとする数多くの有名な武人を輩出した国であるが、今回の件の大元はそれとは関係無く、大名家にありがちな後継ぎ問題を発端としていた。
求馬は正妻の第一子であり、最も年長の男子でもある。本来なら彼は何の問題も無く、大名家を継ぐ事になる筈だった。
しかし正妻である求馬の母が病で早逝し、新たに正妻となった女に男児が生まれた時から事情は一変した。
嵯巌の国は武人の国、その長はやはり武に優れた者であるべきだとの一部の臣下達の注進の裏に、その新しい妻の姻戚達の息がかかっているのはあまりにも明らかで、本来ならそのような讒言になど、耳を貸す必要は無い筈だった。
全ては若い妻に甘い一人の中年男の愚かさ故の事。しかしいくら愚かだと解っていても大名である父親の言葉は絶対で、求馬は武人としての実力を証明しなくてはならなくなった。
「それでよりにもよって東凌とはね、大名は息子が可愛く無いらしい」
カカシが呆れるのも無理は無い。大会は命懸けであるし、主催国である阿南は遠く、途中何らかの理由で命を落しても、その原因を追求することは難しい。
「当然その新しい正妻とやらの刺客があるかもって事も、考えに入れとかなくちゃなんない……と」
聞くほどに厄介な任務だった。
「何でこんなの引きうけちゃったんです火影様」
「仕方あるまい――正式な依頼じゃ」
大会である程度まで勝ち残り、無事に帰りつく事が出来れば、新しい正妻の息子が後日後継ぎに名乗りを上げようとしても、求馬と同等かあるいはそれ以上の武人としての証を示す必要がある。
「求馬殿が跡を継ぐという事はつまり、木ノ葉が大きな後ろ盾を得るという事――」
これ以上の報酬はあるまいとしめくくる火影。
らしくないやり方だと、三人の上忍は長の真意を伺うように揃って目を細めた。
確かに報酬は魅力的であるが、任務が失敗した時のリスクを考えた上での判断だとはとても思えない。慎重に慎重を重ねるようなこれまでの火影は、一体何処へ行ってしまったのか……。
しかしそんなカカシ達の疑いをわかっている筈なのに、火影は決して真意を語ろうとはしなかった。
最初に諦めて溜息を吐いたのは紅だ。
「わかりましたわ火影様。で、私達の内の誰と誰が行けばいいのです? それから大会出場経験がある者とは誰なんですか」
「……うむ。やはりここはカカシとアスマに行ってもらおうと思うておる。紅はその間、下忍達の面倒をまとめてみてもらいたい」
「「「――承知」」」
三人の声が重なる。
「で……?」
「もう一人には仕事が一段落ついてから来るように伝えてある」
そこで火影はチラリとドアを見た。
「来おったわ」
その声と共に扉を叩く音がして、入室の許可を求める声が中に居る四人の耳へと届く。
「火影様、お呼びにより参上致しました」
「入るがよい」
――カチャ
入って来た人物を見て、カカシ達は目を疑った。
「イルカ?」
「はい」
アスマに名前を呼ばれ、一文字の傷のある顔にいつもの微笑を浮べて返事をしたのは、皆も良く知る男だった。
アカデミー教師であり、時に受付で事務仕事もこなす人当たりの良い人物……。
武闘大会どころか、忍者でありながら戦闘と名の付く行為とはおよそ縁の無さそうな中忍が、入口で微かに首を傾げたまま、いつもの穏かな笑みを浮かべていた。
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