「何も考えずに戦っているくせにとにかく強い……もしかしたら天才というのは、本当はああいうのを云うのかも――」
皆とカボチャのみずねりの入った野菜汁を食べながら、イルカがそんな事を呟いていた頃……。
「ヘー―っくしょんっ――ふぇっく………はぁああ風邪でも引いたかぁ!?」
本選出場チームの為に用意された簡易テントの中。雲母鶏の骨付き肉を片手に、だらしなくテーブルの上に足を乗せて寛いでいた男が、豪快に飛び出たくしゃみに戸惑った様に鼻の下を擦っていた。
「アンタが風邪なんか引くわけないでしょうが宇賀(うが)耶(や)。知らないの? 馬鹿は風邪引いたりしないのよ。実際今まで一度だって引いたことなんか無いくせに」
男の言葉を聞きとがめたのは、顔立ちの幼い、だが妙に落ち付いた雰囲気を持った小柄な女である。どう見ても二十歳以上には見えないが、そろそろ三十に届こうという男に対する態度を見るかぎり、あるいは見た目通りの年代ではないのかもしれない。
「あ〜〜? 英保(あお)、それがチームの大将に向ける言葉かよ。全く冷てぇよな〜〜……」
その言葉に、英保と呼ばれた女は肩を竦めて見せる。
「アンタだって一応三傑と呼ばれる中の一人なんだから、もっとしゃんとして欲しいもんだわ。比嘉の鴉(からす)や縣(かけい)の安里(あさと)に比べてどうしても一段下に見られるのって、絶対その阿呆っぽい言動のせいなんだから……。どうせそのくしゃみだって、誰かがアンタの馬鹿さ加減を噂してるせいに決まってるわよ」
最期の方は既に溜息交じりである。
その英保の様子からは、目の前の男に対する不満がありありと伺えた。
子供の心を持ったまま大人になってしまったような、野性味ととぼけた無邪気さを併せ持つ男――宇賀耶。
しかしこう見えても彼は三傑と呼ばれる程の英傑の一人で、武闘家人口の密度が高い阿南でも、最強を名乗る事が許されるだけの実力と知名度を併せ持った稀有な武闘家なのである。
ただ若い頃からその強さを伝説の如く語られる鴉や、伝統ある流派を継ぐ安里に比べると、何処にも属さずふらふらと好き勝手に生きる宇賀耶には、語られるだけの物があまりにも少なかった。
強い――それも他の二人に決して劣らぬ実力を持つのは間違い無いというのに、三傑を語る時、その扱いはどうしても最も軽いものとなってしまう。それを苦々しく思いながらも、目の前の当人を見ていれば無理も無いと思えてしまうのだから、それがまたなんとも情けない英保なのだ。
一方宇賀耶はというと、そんな英保の気持わかっているのかいないのか……。
「ひで〜〜よなぁ守矢、俺ちゃんと頑張ってんだろ、な?」
援護を求めてぶんぶんと肉を持った手を振り回しながら、同じく骨付き肉を手にした四角い顔の大男に目を向け、「しっしっ」とばかりにその視線を手で払われている。
他の二人はそんな遣り取りをただ面白そうに見ているだけだ。確かにそれらは、三傑と呼ばれる程の男に対する扱いとはとても思えなかった。
「いい? 宇賀耶、今回の大会はチャンスなのよ本当に。比嘉はあのカリスマと鴉を失って今はひとまわり弱体化してるし、予選の方もこれまでのところ目立って強い奴らは上がってきてない。今度こそ優勝して、賞金と最強の看板を手に入れる――そうしたら……」
「大店の用心棒として生涯契約を結んで将来安泰、一生遊んで暮すっつーんだろ? 英保の夢はわかってるけどさ……でもつまんねーよやっぱ、強い奴と闘えないとさぁ」
英保の台詞を先取りして、宇賀耶は気がのらないといった様子で椅子に沈み込む。
「そういう台詞はに安里に勝ってからいいなさいっての! ――ねぇ、本当に勝てるの? あの天姻太極の遣い手に……」
「ん、まあどうにかなるだろ? けどアイツと戦うのってあんまり楽しくねーんだよな……やっぱ鴉! 鴉がいないと」
「だからそれは勝ってから……」
「――勝つって」
いきなりそれまでのだるそうな風情を脱ぎ捨て、宇賀耶は自信有り気に真っ直ぐ英保を見返した。
「……どういう根拠があるのよ、前は負けたくせに」
「根拠ってより――負ける気がしねーんだよアイツには、何となくだけどさ」
宇賀耶の根拠の無い自信はいつもの事である。確かに強い事には間違い無いので、こと闘いに関しては大抵は宇賀耶のその自信通りに事は進むのだが、はっきり言って英保は宇賀耶の言っている事など全く信じていなかった。
更に言い募ろうと口を開いた英保を止めたのは、食事を終えて手と口を丁寧に拭い終えた守矢の言葉である。
「ここで勝つだの負けるだの言っていても仕方なかろう? いいから英保も早く食ってしまえ、これから少しばかり気になる試合もある」
「え?」
「今年は確かに不作だが、面白いチームが全く無い訳でもないと云う事だ」
「へえ……守矢が目ぇ付けてるチームね、面白そうじゃんか」
早速その提案に飛び付く宇賀耶を軽くひと睨みすると、英保は自分の分の骨付き肉に手を伸ばし、がぶりと乱暴に齧り付いた。
*
「俺は片付けてから行きますから、先に行っててください」
そう言ったイルカの言葉に甘えて、一行は食事を終えるとすぐに第二闘技場へと戻っていた。
しかし既に闘技場の周囲は人で埋まり、とてもではないが見やすい場所へなど行けそうも無い。
「うわ……もう前の方は無理だわこりゃあ。どうすんのさアスマ」
「俺が知るか。―――それよりもカカシ……お前、何を考えてる……」
人波に押され求馬や帆足と離れるのを見計らっていたように、アスマが突然話を切り出した。
「は? 何って何が」
「…イルカの事だ。いきなり態度を豹変させて……一体どういうつもりなんだ」
「あーあーあーその事ね」
とぼけるつもりも無ければ自覚が無い訳でも無いらしいカカシに、アスマは憮然としながらも少しばかりホッとする。
しかしそれも次のカカシの言葉を聞くまでの事だった。
「まぁね。あの人に関しては俺も色々考えた訳よ、それなりに。ああいうタイプとははっきり言ってあんまりお近づきになりたくないんだけど、任務中はそうも言ってられないしねぇ……。まあ懐いてみせりゃ、あっちも悪い気はしない筈だし、俺も演技力を磨けるって事でさ。今の俺を見てイルカ先生を嫌ってるとは、流石に誰も思わないでしょ?」
「――お前、やっぱりイルカの事を認めたって訳じゃ無かったのか……」
「ああ、料理は気に入ってるよ確かに。美味い物食えるのはありがたいし…それに関してはイルカ先生様様ってね。――でも俺は甘っちょろい考えを押し付けられるのは御免だし、悪いけど戦えない奴に背中を預けるつもりも無い……」
そう言ったカカシの表情は酷薄であるというよりも、譲れないものを自分自身に確認するかのような真剣なもので。懸念は当たっていたと、改めてアスマは思う。
「やっぱりわかってねぇよ…お前は」
カカシの言いたい事がわからない訳ではないが、それを言うなら何故イルカだけにこうもこだわる必要があるのか。中忍はイルカだけではない。外の任務に出る事の少ない内勤の忍も……。
戦忍ではない忍者など、それこそイルカ以外にも大勢いるのである。
「わかんないのはアスマの方だっての。あんな中忍にどうしてそこまで肩入れするんだか……。まぁいいけどさ、とにかくこの話はもう終わりにして欲しいね、ちゃんとうまくやってるんだし。それより試合だけど、こんな後ろじゃいるだけ無駄だし、見学はあの二人に任せて……」
「…そうだな」
何を言ったところで本人に自覚が無いでは何も変わらないと、アスマは無駄に言葉を尽くすのは止めた。
(――結局は二人の問題だ……)
「次の試合に間に合えばいいんだしな、暫らくその辺をブラブラしてるか……」
考えている事とはうらはらに、アスマがそう口にした時である。
盛り上がっていた筈の試合を無視して、いきなり客席の後の方からざわめきが湧いて出た。
人波に押され、揉まれて歩きながら、求馬はすぐ後にいつもの様に付き従う帆足の姿を確認して、ホッと息を吐いた。
他の仲間の姿は既に見当らない。
「カカシ達とはぐれてしまったな……」
「――はい」
独り言にも似た呟きに、やはりいつもの様に短い返事が返ってくる。
表情も無く常に影のように自分の傍にある帆足の姿は、いつもの見慣れた物と何も変わらない。しかしこの旅に出てからというもの何かがおかしいと、心の奥で求馬は何度も感じていた。
共に居た時間が長いからこそわかる微妙な違和感。それは中々言葉にならずただ求馬を途惑わせるばかりだったが、試合を一つ無事にこなした事で心に余裕が生まれたのか、ここにきて何となくその違和感が形になってきた。
――長年積み重ねてきたものこそが、最も信じられる求馬君の確かな力ですよ。
そんなイルカの言葉に、修練は決して怠ってはならないという記憶の中の帆足の言葉が重なる。
(あれだけ日々の鍛錬を欠かさぬよう五月蝿かった帆足が、この旅が始まってからというもの、一度もその事を口にしていない……)
気がついてみれば簡単な事で、しかしそれが何故なのかはまだわからぬまま、今も気まずさに呼吸すら意識しながら、求馬は問い質す機会を伺っていた。
しかし突然のざわめきに邪魔をされ、疑問を晴らす絶好の機会は失われてしまう。
「何だ……?」
それはまるで波の様に、徐々に後ろの方からやって来た。
試合に夢中になっていた人々もそのざわめきに気がつくとピタリと応援を止め、原因を確認してまた更に興奮を露わにしていく。
「…宇賀耶だ……」
「三傑の……?」
「…あれが宇賀耶……」
ざわめきの中から聞き取れたのは、名前らしき物と三傑とかいう気になる単語。
そして――。
「一体彼らは……」
求馬が驚いたのも無理は無かった。あれだけ混み合っていた観客席の人波が、一人の男の目の前で、何かの冗談のように左右に分かれ始めたのである。
これはもう、単純な特別扱いなどというものではなかった。何かの打ち合わせがあったという訳でも無い。まるで彼に対して道をあけるのは当然の事だと誰もが思い、それをただ実行しただけであるかのように、その現象はごく自然に起こったのである。
出来上がったその道を通って、男とその仲間らしき一行は、誰に邪魔される事も無く、いとも簡単に闘技場のすぐ近くまで辿りついていた。
それを見てただ呆然としている求馬を見咎めた一人の男が、驚いた様に声を掛けてくる。
「あんたらさっき勝ったチームの――まさか知らないとでも言う気かい宇賀耶の事を。驚いたな一体どこの田舎者だ……阿南の誇る三傑を知らないなんて」
そう言って男は、頼むまでも無く嬉々として宇賀耶という男と三傑という呼称について教えてくれた。
「名手高手と呼ばれる武闘家なんぞそれこそ星の数ほどもいるがね、三傑だけは全くの別格……それは誰もが認めるところだね」
その人物の顔は遠目にもまだ若く、男が言うほどの風格など見ただけで感じ取る事は出来なかった。
しかし周囲の畏怖と尊敬は紛れも無く本物で、見た目がその名声にそぐわない事がかえって、宇賀耶という人物の実力の確かさを現しているとも云える。
「しかし本選出場の決まっているチームが、予選を見に来るなんて珍しい事だぞ。一体どのチームが目当てなんだ……?」
その疑問に対する答えは、宇賀耶達の登場で一時中断していた闘いが再開してすぐにはっきりとした。
それまで均衡した闘いぶりを見せていたというのに、突如一方の細身の男が、現れた宇賀耶に対する宣戦布告とばかりに、その真の実力を垣間見せたのである。
沸き起こる歓声――その理由たるものを遠目にだが求馬もはっきりと目にしていた。
飛び散る血に彩られる視界。どちらも武器など持っていない筈なのに、倒れた方の男の体には何故か、刃物で斬りつけられたかのような鋭い傷が幾つも刻まれていた。
「あれは――」
カマイタチのような鋭い攻撃――それと全く同じ技を、英保は何度も見た事がある。それどころかその技は、彼女自身の得意とする技の一つでもあった。
「――闇爪」
呟く声は震えていた。
「まさか……あの男も一族の……」
黒衣の部族、もしくは喪服の一族と呼ばれる特殊な少数民族。彼らは特殊な信仰を持ち、無垢な魂を彼らの神に奉げる事を最大の喜びとする。そしてその為に殺傷術を磨き、それを長く伝え続けていた。
英保はその一族の出身であり、同時に信仰を捨てた異端者として一族に追われる身でもある。
灰色の道着を身に付けている以上は、恐らくは目の前で戦っている男もまた、英保と同じく一族を抜けた者であろう。
「英保、お前にとってはある意味仲間かもしれんが、敵に回すと少しばかり厄介な相手だな」
「……そうね」
同じ技を使うからこそ相手の実力が手に取る様にわかる。
「――かなり厄介だわ……」
同じ生い立ちである事での仲間意識は、不思議な程感じなかった。
それよりも胸にはっきりと沸き起こってくるのを感じるのは、自分達の行く手を阻むかもしれない相手に対する、強い…敵愾心。
何時の間にか英保にとって仲間とは、一族でも同じ立場にある者でもなく、共に無茶を繰り返した宇賀耶をはじめとするこのチームの面々のみを指す言葉となっていたらしい。
英保はその事を改めて強く感じると同時に、年上の癖にまるで弟の様に手のかかる、それでいて最も頼りになる男へと、その信頼の目を向けていた。
しかし期待に反して視線は重なり合う事は無く……。それどころか宇賀耶の目は、闘技場にすら向いていなかった。
「――宇賀耶……?」
その目がじっと見つめているのは、観客に紛れるようにして立つ一人の平凡な男。
顔に一筋のアクセントを刻んだその男は、宇賀耶のその問い掛けるような視線の先で困った様に頭を掻くと、そのまま右手の人差し指を立て唇に触れる。
その仕草の意味を理解した宇賀耶は目を丸くし、そして次の瞬間それはもう嬉しそうに、無邪気に頬を弛ませた。
それはまるで、子供が大好きな遊び相手を見つけた時のような、楽しくてたまらないという――そんな心からの笑み……。
「どうしたのよ宇賀耶、随分楽しそうじゃない、何笑ってるの?」
「いや――なんか…ホント、面白くなってきたと思ってさ……」
不気味がる英保の横でらしくもなく言葉を濁しながら、宇賀耶の楽しそうな微笑みは、そのまま暫らく続いていた。
*
11ブロック第5試合は、カマイタチに似た技を使う男のチームが大方の予想通りに勝ち残った。次の第六試合では嵯巌チームが、求馬、帆足、カカシの三人でやはりこちらも順当に予選決勝進出を決める。
そして観客席に宇賀耶率いる天縫チームを置いたまま、恐らくは予選の中で最も注目を集める試合が――今、始まろうとしていた。
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