予選四日目――最終日。
いよいよ始まる最初の試合を控えて、一行は一一ブロックの試合の行われる第二闘技場へと朝早くから集まっていた。
客席にはあの自称武闘評論家、私市の姿もある。
彼は集合がかかる直前まで傍にいて、ガッツの投げこみ方やら審判の目を引く降参の仕方などを指導していった。
どうやら親切のつもりだったらしいが……。
「あのおっさん、絶対俺達は一回戦負けだと思ってるね。まあそう思ってるのはあのおっさんだけじゃないだろうけど……」
カカシの言う通り、先ほど整列した八チームの中でも、体格的……つまり見た目には、このチームは明らかに他に比べて一段劣っているといえた。
筋肉がついていれば良いというものではないというのは、昨日までの試合が証明していた筈なのだが、流石に求馬のような若者の率いる無名のチームに、わざわざ注目し期待を掛ける者などはいないようだ。
実際私市だけでなく会場の観客の殆どは、筋骨隆々としたいかにも格闘家といった容貌の男達が勝つ事を予想している。
こういった大会の常で、どのチームが予選に勝ち上がるかという予想は、ちょっとした賭博のネタともなってた。そしてそれがまた、更に会場の熱気を煽る効果を生む。
それぞれが自分の賭けた贔屓のチームに声援を向けていたが、求馬達に向けられるのは一部の女性達によるカカシや帆足への別種の興味くらいで、他はどちらかと云えば他所の地から来た武闘家きどりに対する、嘲りに近いものが多かった。
「悪くない展開だな……」
にやりと笑ったアスマの言葉に、皆も心の中で頷く。そんな不敵な勝利への確信は、第一試合第二試合と試合が進んでも、いささかも減じる事はなかった。
そして第四試合――いよいよ求馬達の出番が来た。
「嵯巌チーム――先鋒」
審判の声がざわめきを切るように響き渡る。
(国の名を掲げた以上、俺は――絶対に負けられない)
事前に一番手として登録していた求馬はそう覚悟を決めて、闘技場中央へゆっくりと進み出た。
「求馬君!」
「そんな小僧軽く捻ってやれ!」
歓声と罵声、それに互いのチームの声援が入り混じる。
相手は求馬よりも横幅が二倍はありそうな大男だ。勝利を確信したように笑うその黒い顔を、求馬は冷静に睨み据える。
二人が向かい合い睨み合った一瞬だけ歓声も止まり――そして次の瞬間一際高い歓声と共に、試合開始が告げられた。
「――さっさと眠っちまいなっ」
「!」
そう叫ぶと、大男はいきなり求馬に向かって真っ直ぐに突っ込んできた。
そしてその勢いのまま、突きを放ってくる。
右手右足が前に出た一般的な、しかし充分に威力の乗った突きだった。まともに受ければ体格で劣る求馬などひとたまりも無いだろう。
(来た――)
何を考えるという暇も無かった。顔に真っ直ぐに向かって来た突きを叩き逸らしながら、殆ど同時に右足が出ていた。
――最初の試合、相手は間違いなく求馬君を侮ってきます。
脳裏に浮かぶのはイルカの声。
――まずは手の内を見せずに楽に勝たせてもらいましょう。最初の攻撃を受け流したら、そのまま一気に決めて……終わりです。
一朝一夕で新たな技が身につく訳も無く、イルカが短い時間で求馬に植えつけたのは、「こんな場合どのようにして戦うか」ではなく、「いかにして勝つか」という事だった。
手の内のわからない相手にはどうすれば良いのかと問うた求馬に、技を想定して対処法を決めておく事はきりが無く意味の無い事だとイルカは言った。
――それはつまり敵の出方と変化と現状を残らず予想して頭に入れておかなくてはならないという事です。そこにまた求馬君の力量がぶつかれば、そのパターンはまさに数千数万のバリエーションにもふくれあがる事になる……。
考えて戦わない者は強くならない、けれど頭で戦っているようでは問題外だとイルカは言った。
手段ではなく大切なのは目的で、後は長年積み重ねた修練の結果が自然にそれに答えてくれる――と。
習い覚えた型を繰り返し勘を取り戻す事。それが昨日イルカと共に行なった訓練の全てだったのだ。
(俺はただ、自分の身につけた技術を信じればいい――)
この一度の攻撃で終わりにする――そう心に決めてしまえば、後は何度も繰り返し鍛錬した技が自然に体を動かした。
右足が無意識に大男の右脛を踏み込むように蹴り、ついでそのままつま先を外に向けた状態で相手の右足前に入り込む。
動きは全て一連の流れを辿るようだった。そのまま右に転身し、逸らした相手の右腕を捻り上げつつ左肘で右肋骨部を打つ。
更に求馬は大男が捻られた右肘の痛みに反応した反動を、そのまま当然のように利用した。
左足を一歩出し、右に転身しつつ右腕をくぐり抜けるようにして、巨体を右肩に深く担ぎ逆を取る。
「―ぐぉっ!!」
恐らくは何が起こったのか理解も出来なかったに違いない。そんな混乱した状態のまま受身も取れずに激しく地面に叩きつけられた大男は、二、三度大きく痙攣していたかと思うと、そのまま気絶し動かなくなった。
観客にとって、それはまさに出会い頭の、ほんの一瞬の出来事に見えただろう。
細身の若者が大男を投げた事に対する驚きよりも、その呆気無い展開に対する不満の方が大きいのか、一瞬の沈黙の後、立ち上がる様子を見せない大男に対し、激しいブーイングが飛ぶ。
そしてそれは大男の仲間達も同様で、ガッツを投げ入れるどころか、「何をやってる!」「いつまで転がってる気だっ」と、動かない大男に対し冷たい叱咤が向けられていた。
しかし求馬があの数瞬で何をやったのか、アスマやカカシ達にはしっかりと見えている。
「意外とやるな、あの坊主……」
「右手、右足、肋骨と続けて、うまく意識が散漫したところに更に右肘を極めるとはね……なかなか芸が細かい」
生理反応として、人は痛みを感じるとどうしても一瞬そちらに注意を逸らされる。その痛みが連続して移動した事で既に大男は、自分が何処をどうされているかもわからなくなっていたに違いない。
そしてそんな混乱の中で最期に肘を極められ、「腕を折られる」と錯覚してしまった……。
実際はそう簡単に腕の骨は折れたりはしない。しかし体は腕の痛みに反応して、無意識に腕全体を縮めようとした。その反動を利用して投げ捨てられれば、男は自分の重さもあって極めて早く強烈に地面へと叩き付けられる事になる。
大男はただ背負い投げられたのではなく、それだけの事が、あの一呼吸の間に行われていたのだった。
「……猿咽搬枝」
ポツリと帆足が呟いた。
「なるほど、今のは嵯巌に伝わる技の一つというわけか……」
「徒手空拳による基本の流れの一つに過ぎないが……しかし求馬様がそれを、試合でああも自然に使いこなせた事など、知る限り一度も無い」
アスマの問いに珍しく饒舌に答えたかと思うと、帆足は問うような目でイルカの方を見た。
しかしイルカはそんな帆足には気付いてもいない様子で、嬉しそうにまだ勝利の実感の湧いていなそうな求馬に向かって手を振っている。
そして試合続行は不可能という審判の判断が下り、求馬の勝利、つまり嵯巌チームの一勝目は確定した。
「若手がやってくれたんだから、おっさんも負けてられないよ」
そう言ってポンとアスマの肩を叩くカカシ。そう、次はアスマの番である。
「頑張ってくださいアスマ先生!」
同い年だろうがとカカシに突っ込むのはいい加減もう諦めて、イルカの応援に拳を手の平に叩き付ける事で答えると、アスマは求馬と入れ違いに闘技場へと上がった。
求馬のやった事がわかっていない時点で、既に相手の実力の程は見えている。
「俺はまあ……見世物に徹するとするか」
先の試合の呆気無さに不満を見せる観客の為に、アスマは次の試合は態と時間をかけてやる事にした。
「ったく、めんどくせぇ…」
始まった激しい拳打の応酬に、待ってましたと周囲は沸いたが、対戦相手のほうはまともに当たらない拳と、アスマの心底面倒臭そうな呟きを聞かされながらの戦いに、徐々に頭に血を昇らせていく。
「うぉおおおおおっ」
しかし、煉瓦を素手で割るほどの気迫でもって繰り出された手刀までが、虚しく空を切った時、男はようやくレベルの違いというものを思い知った。
「外功っつうのはあれだな……当たらなきゃ全く恐くねぇ」
その声を耳にしたのを最期に、首筋へ小さな衝撃を受け、男は気を失った。
「――やはり戦うことを生業とするだけはあるな……」
素直な感嘆の声を上げる求馬の横で、今度は中堅として登録されている帆足が静かに立ち上がる。
その後ろでは名前だけの大将という事でのんびりとしているイルカと、ジャンケンに勝って同じく試合を免れそうな感じのカカシが、既に観客気分で呑気に会話を交わしていた。
「この調子なら予選は余裕ですね、カカシ先生」
「ん〜〜、でももうちょっと何とかならないもんですかねぇ?」
「何とかって何がですか?」
「華ですよ、ここには華が無いんです!」
力説するカカシに首を傾げるイルカ。
「花がどうかなさったんですか? シンラの花ならあの辺に咲いてますけど。綺麗な赤い花ですよ、とても良い香りでリラックス効果があるんです。ただ一つ難ありなのは、食べると死んじゃうって事ですが……」
「綺麗な花には毒があるっていいますもんね――あれ?トゲでしたっけ?――…と、まぁそれはともかくとしてその花じゃ無くってですね! こうムサイ筋肉男ばっかり目にしていると、心の潤いというものが足りないんじゃないかなーと……」
「ああ――実は俺もちょっとそれは感じてました」
「でしょ? やっぱり欲しいですよね〜〜潤い」
二人がそんな事を話している内に、観客になど気を遣う気の無い帆足はあっさりと勝利し、同時に三連勝でチームの勝利も確定した。
嵯巌チームの勝利を告げる審判の声を聞きながら、私市は呆然として、ノートと鉛筆を手に持ったまま立ち尽くしていた。
「な…何者なんだ彼らは……」
正直な所私市は、あの奇妙な五人連れの事を、「悪い奴らではないようだが他所から腕試しに来たただの無謀な若者達に過ぎない」と思い込んでいたのだ。
育ちの良さそうな若者と遊び人風の色男などはまず武闘家としては問題外に思えたし、唯一まともな体格だと言える髭の男も、動きが鈍そうで大した事は無いだろうと全く評価していなかった。
イルカと呼ばれていた男など、若者のお目付け役か教育係くらいにしか見えない。
それが一回戦を三連勝という圧倒的な強さで勝ち残ってしまった。相手チームは目立って強いという訳でもなかったが、決して弱いと云えないのにも関わらずだ。
「私としたことが………っ」
――目の前にいた強者の実力を見抜けなかったとは……。
一生の不覚とばかりに、手に持った鉛筆を力いっぱい握り締める。細くて手応えが無い事に少し虚しさを感じながらも、私市はそのまま唸り続けた。
「――特に中堅の男……あれは只者ではないぞ」
長年武闘大会を見て来た評論家としての勘がそう告げている――と、私市は思う。
「先鋒の若者とよく似た動きだったが、中堅の方が遥かに洗練され完成されていた。恐らくは東凌武東大会で力試しをと考えた、北では名のある武闘家であるに違いない。そして他の者はその弟子達か……」
そう言った瞬間キランと光ったのは、眼鏡かそれともその奥にある小さな目だったのか……。
「私の目に狂いが無ければ、彼らはこの大会、かなり良いところまでいくだろう」
既に嵯巌チームに注目しているのは彼だけでは無かったが、長い無名評論家生活の中でも初めてと言っても良い強者との親交に、私市はすっかり舞い上がり始めていた。
「早速彼らについて調べなくては――」
予選が終了したら中央の資料館に行ってみようと決心しながら、休憩時間で人々がその場を動きはじめたのを利用して、更に良い観戦席を確保するのに余念の無い私市だった。
*
一回戦が全て終わった時点で休憩時間となり、昼時だという事もあって、五人はいつの間にかイルカが用意していた野菜汁を、木陰でのんびりと味わっていた。
「このモチモチしたの、カボチャの味がする……?」
喉を通る甘い味噌の風味にうっとりとしながら、求馬が椀の中にいくつか浮かんでいる丸い団子状の物を箸に突き刺して言った。
「カボチャをたっぷり練り込んだみずねりと言う団子ですよ。カボチャ以外にもこちらでは黄金芋やあずきごぼうなんかをよく練り込んで食べます。美味しいし消化にもいいんですよ」
「流石イルカ先生! 食べ物博士の称号はもう既に貴方の物ですよ!」
「――そんな事言っても、みずねりは一人六つまでですよカカシ先生……」
笑顔で釘をさすイルカに、鍋を吟味していたカカシの手がギクリと引き攣った。
「いやだなぁ…イルカ先生、俺そんな意地汚くないですよ、は…はは…」
その不自然な笑いに冷たい二つの視線が突き刺さる。
「――そ、それはともかくとして、イルカ先生、昨日はこの若様と一体どんな特訓をしたんですか?」
その誤魔化すようなカカシの問いには、求馬が自ら答えてきた。
「名前で呼んでくれと言った筈だぞ……。それに別に特訓と言ったって、普段の訓練でやってる事をさらっただけで特別な事は何もしてない。ただ型をなぞるのは久し振りだったから、勘を取り戻せたとは思うけど……」
「――それだけとは思えません」
珍しくそこへ帆足が口を挟んできた。その口調には何処か、怒ったような堅さが感じられる。
「まあ、他にもいくつかアドバイスは貰ったけど……」
初めて見るような帆足の様子に途惑って、求馬は思わず口篭もっていた。
「アドバイス……?」
「勝つ為にはもっと頭を遣えって……それから負けたら何で負けたかちゃんと考えろって」
「別にアドバイスというほどのものじゃないですよ帆足さん。それに武術に関してだけの話でもないですし。どんな事でも本当に強い人や伸びる人というのは、どうすれば相手の技に勝てるか、対処できるか、負けたら何で負けたのかを、とにかく納得いくまで考えますよね。でないと次も同じ事を繰り返すだけですから。――ようは何も考えずただ訓練していれば何時の間にか強くなっているなんて事は、まず有り得ないという事を伝えただけなんです」
自然と教師口調になっているイルカを、アスマは何となく微笑ましい気分で見つめていた。
求馬の緊張が解けたのも、今日の求馬の活躍ぶりも、あるいはイルカが何かしたのでは……と思い、平凡な中忍教師という姿に疑いを持ち始めていたアスマである。
しかしイルカはやはりイルカだった。真面目でいつも真剣過ぎるくらい真剣な男。子供達に慕われるそんなイルカの事を、アスマは結構気に入っていたのだ。
「よく重りや何かをつけて訓練すれば、それを外すと体が軽く感じられるとか言うが、その訓練法が間違っているのと似たような事だな。確かに軽く感じはするが、それは単に体が錯覚しているだけだから、重りを外してしばらくするとまた感覚は元に戻ってしまう。それに錯覚した感覚というのは危ういもんだ、下手をすると不用意に体に負担を掛ける事にもなりかねん」
「アスマ先生のおっしゃる通りです。体力作り一つとっても、ただ体を酷使すればいいというものじゃない。ちゃんと考えて自分の目的にあった遣り方をしなくては意味がありません……」
「何だか耳が痛いな。イルカの言ってた事、何となくわかったような気になってたけど、実際はあんまり考えて戦ったわけでもないし。ただイルカの言う通り最初に来る大ぶりな攻撃を利用して一気にかたをつけただけだから……」
「でもそうする事が何故効果的なのかはちゃんとわかっていたでしょう? それでいいんです。ただこれからは――特に本戦からは、もっとずっと厳しくなりますよ。相手も頭を使って闘う事を知っている一流どころばかりになりますからね」
そこまで言ってから、イルカはふと思い出したように言葉を足した。
「まあ中には例外もいますけどね。本能だけで何も考えずに戦っているくせにとにかく強い……もしかしたら天才というのは、本当はああいうのを云うのかも――」
「イルカ先生……?」
「あ……すいません。ただの独り言ですから聞き流して下さい……」
そう言って笑いかける事でカカシの疑問を封じると、イルカは何事も無かったような顔で、手際良く後片付けを始めるのだった。
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