普段から気が抜けたように見える顔を、のぼせたのか更にボーっとさせて部屋に戻って来たカカシに、アスマは言った。
「珍しいなカカシ、いつもはカラスの行水のお前が……。もしかして混浴だったのか?」
基本的に発想が同じ2人だったが、カカシの様子はどうやらいつもとは違っていた。アスマのからかいも無視して、きょろりと同室のもう一人の気配を探す。
「イルカ先生は?」
「ああ?イルカならまだ戻って来ねぇよ」
一転して舌打ちでもしそうな顔をすると、カカシは踵を返そうとした。
「おいっ、何処行く気だ? まさかイルカを探しに行くつもりか?」
カカシは答えない。
「やめとけって、オンナの所かもしれねぇだろうが。さっきお前も言ってたろ?」
ピクリと頬を引き攣らせ、カカシはようやく立ち止まった。
「だったら尚更だ。遊びじゃなくてこれはれっきとした任務なんだからな――ちょっと行って連れ戻しに行ってくる」
「別に隠密行動を必要とする任務でもないだろう?……放っとけよ。あいつは道案内としての役目はちゃんと果たしてる。だいたい他人の行動に口出しするなんて、らしくねぇだろうが」
「……っ」
アスマに指摘されて初めて自分の行動に気付いたようにカカシは固まった。
自分でも納得いかないとでもいうように唇を噛み締める様子は、どこか頑是無い子供のようだ。しかしそのふてた瞳には、子供には無い闇さが宿っている。
ちょうどそこへイルカが戻って来た。
「どうなさったんですか?」
部屋の入口で固まっているカカシに不思議そうな顔を見せるのに、今度は本当に舌打ちをすると、カカシは入れ違いに部屋を出て行った。
「?」
「ああ……放っとけってあいつの事は。それよりも東凌武闘大会についてちょっと話してくれないか? 何の予備知識も無いままじゃ流石に不安だしな」
「――その事に関しては求馬様やカカシ先生にも聞いてもらった方がいいですよね」
役に立ちたいと意気込んで嬉々として喋り出すかと思っていたアスマは、効率を考えて無駄に喋るつもりは無いというイルカを不思議なものでも見るような目で改めて見やった。
――こういう奴だったか……?
意外ではあったがイルカの言うことはもっともだ。
「……それもそうだな」
だがそうなると、イルカと目的も無く2人きりで部屋に居る状況はどうも落ち着かない。
他人に――それも格下の人間に気を使うよなマメな心遣いなど持ち合わせていない筈のアスマだったが、イルカの持つ穏かな雰囲気はアスマやカカシ達のような人間にとっては時に息苦しくすらある。
イルカが嫌いなわけではない。ただ馴れた血生臭い雰囲気とは相容れないこうした存在に、どう対応して良いのかがわからないのだ。
真っ白な紙に筆を付けるのを躊躇うように、アスマはこのやさしい空気を壊してしまうのを恐れた。しかしそれとは反対にイルカのような人間を見ると、壊してやりたいとか、自分の色に染めてしまいたいとか思う人間もいるのだ。
カカシは一体どちらなのか……。――そう、自分の事よりもアスマはカカシのイルカに対する態度の方が気になった。どうもこの任務に就いてからのカカシは、いつもと様子が違い過ぎる。
そんなアスマの気遣いやカカシの様子になど全く気付いた様子も無く、イルカは一行の中で一番早く床に付き、一行の中でただ一人十分に睡眠をとって、翌朝には余裕でまた朝風呂を楽しんでいた。
ちなみに寝るのが一番遅く、出発ギリギリまで布団にしがみ付いていたカカシの分の朝食は、イルカの手で分けられて求馬とアスマの腹の中に消える事となる。
*
先に厳しい闘いが待っているとは思えない位に、穏かな旅が続いていた。
国から遠く離れた長い旅の間には、恐らく様々な困難が待ちうけているだろうと、世間知らずの求馬でさえもがそれなりに覚悟していたというのに、トラブルらしい事は何一つ起こらず、旅は極めてスムーズである。
その主な理由はイルカにあった。長く里に在中し教師をしていた筈のイルカは、何故かやたらと旅馴れていたのだ。
安くて良い宿良い食事、そして国境を越えるたびに必要になる割符(通交証)さえも、何処からか手に入れてくるのはイルカの役目となっていた。
「知り合いがいるんですよ」
イルカは何でも無い事のように笑ってそう言ったが、その知り合いとやらが裏側の世界の人間である事は明らかで、イルカがそんな者達と繋がりがあるというのも大いなる謎である。
「火影様のお気に入りってのは伊達じゃなかったってことか……」
忍の世界でも人脈や情報は重要なものだ。ナルトの事もあってやっかみ紛れに囁かれていた言葉は、どうやら本質こそ違えてはいたが一応は真実を言い当てていたらしい。
「肝心の武闘大会で役に立ちそうもないんだから、この位役に立ってもらわなくちゃ〜ね」
「お前なぁ、どうしてそうイルカにつっかかる。まったく、ガキじゃあるまいし……」
「ガキで結構、苦手なモンは苦手なんだよ」
求馬とイルカが打ち解けていくのと反比例するように、カカシとイルカの距離は開いていた。元々挨拶する程度の関係だったが、今のカカシはイルカに対する侮りを既に隠そうともしない。
その事に気づいてもいないようなイルカの態度が、カカシの大人気無さを余計に際立たせ、ますますカカシを苛立たせていた。
また、帆足の様子が妙なのも気にかかる事の一つだった。元々無口な男ではあるらしいが、彼が何事か思い悩んでいる様子であるのは、アスマでなくとも直ぐにわかる事である。恐らく気付いていないのは求馬だけだろう。
(ったく、どいつもこいつもめんどくせえ……)
らしくない気苦労で、煙草の量も増える一方のアスマだ。
陸路の旅も二十日も過ぎると、途中訪れる町の造りや、習慣なども随分と変わってくる。
「服を買わなくちゃいけませんね……」
イルカの言う通り、今のままの服だと目立ち過ぎる。
「もう阿南までは目と鼻の先ですから、ちょっとこの町で買い物でもしていきましょう」
四人に否は無い。
暑い地方であるので、当然皆薄着だろうと考えていたのだが、町の人々の服は薄い布地を体に巻きつけたように見える、肌を殆ど晒さない袖の長い重ね着が主だった。しかし大会出場の為にはそんなヒラヒラとしたものなど着てはいられない。イルカがここで――と選んだ店は、異国風のシンプルなデザインが特徴の、上下にわかれた厚手の服の店だった。
「そう言えばこんな服を着た者達を、時々見掛けたな……」
「もしかしたら大会出場者かもしれませんね。この辺りの格闘家はこの道着を着ている者が多いですから」
求馬は「その他大勢と同じ格好をするのか」と不満そうだったが、着てみるとどうやら結構気に入った様子である。
道着を纏うと、帆足やアスマの体格の良さは勿論の事、優男風に見えたカカシが実は中々良い体をしている事もわかった。
求馬のまだ男としては未完成な細さと、イルカのしなやかな体付きにも意外に良く似合う。
「じゃあ大会出場に向けて、今日は精のつく物でも食うか。イルカ、この辺で何かいい食い物はないか?」
「そうですね――じゃあ名物のガルンと、ブブパップラでも……」
イルカの案内で入った店は、人の熱気と肉を焼く火の熱ですこぶる暑かった。
ガルンとは焼肉の事らしい。珍しいのは牛の柔らかな部位だけではなく、里の方では食用などとは考えた事も無かったような胃袋等の内臓までもが出される事で、それらのコリコリとした歯触りがまた格別だった。
「こんなさっぱりした焼肉は初めてだ……!」
求馬の言う通り、こってりとした見た目に反して、後味は非常にさっぱりとしている。
肉に舌鼓を打った後は、丼に盛られたごはんの上に、豆や青野菜肉そぼろ等が彩り良くもられたものが運ばれてきた。
イルカはそれをおもむろに抱えこむと、長い柄の付いたスプーンに似たものでいきなりざくざくと思い切り良く混ぜ始める。
「イルカ……っ?」
呆然とそれを見守る四人に、イルカは笑って説明した。
「ブブパップラはこうやって混ぜて食べるんですよ。あ――ダメですってそんな風にこねちゃ、さっくりと……そう、そんな感じです」
イルカの言う通りに、最初のかたちを留めぬほどに混ぜ合わせて食べたブブパップラは、まさに複合の妙味。口の中に広がっていくその美味しさは、口ではどうにも表現のしようが無い。
「俺の中ではこれこそが本当の混ぜ御飯なんですよ。だからどうも炊き込んだ混ぜ御飯ていうのは苦手で……」
イルカが説明を終えてそう言った時にはもう、既に四人共ブブパップラをかき込むのに夢中だった。
十分に満足して腹を満たし終えた五人は、場所を変えて今後の打ち合わせをする事にする。
クブンの実の一番絞りという飲み物と、その絞りカスで作った餡の入った饅頭を食べながら始まった、イルカの武闘大会に関する話しの中で、思わぬ事実を聞かされた求馬は、思わず声を上げていた。
「―――予選っ?」
「……まあ、考えてみれば当然か」
無理に自分を納得させているアスマも溜息でもこぼしそうな顔である。
「本選から出場できるのは、前大会の準決勝まで勝ち残った4チームのみなんですよ。何しろすごい数のチームが出場しますからね、本選にもし出場できたら、それだけでこっちでは英雄扱いです」
「そんな……そんな事俺の国の者達は知らないぞ……」
「まあだからこそ権威ある大会って言えるんでしょ。とにかく勝ち残ればいいだけなんだから問題無し! ――ところでイルカ先生が以前に出場した時は、どこまで勝ち残ったわけ?」
予選落ちだろうという想像を隠そうともせずカカシは言った。
「内緒です――恥かしいから」
カカシの想像を肯定するような言い方ではあったが、イルカに卑屈な様子はない。からかうつもりで話しを振ったのに、却ってイルカに軽くあしらわれているような気がして、何だか面白くないカカシだ。
「ルールは単純です。試合は勝ち抜きではなく総当りで、勝つには相手が負けを認めるか、相手が倒れた状態で動けなくなり、審判に試合の続行が不可能と判断されるか、それか相手チームの誰かがガッツと呼ばれる長棒を闘場に投げ込むか――の三つパターンがあります。五人の内の三人が勝った時点でそのチームの勝ちが決まります」
「死者が出ることもあると聞くが……」
珍しく帆足が口を開いた。
「はい。中には本格武闘派などと名乗って、相手の命を奪う気で試合に望むチームもありますから、そういう所を相手にする時はガッツを投げ入れるのを躊躇っていたら命を失うような事にもなります」
肩を揺らして動揺を見せる求馬。しかしカカシやアスマなどにしてみれば命の遣り取りこそが当たり前だ。
流石は拳聖というべきか、帆足もそれをただ確認したかっただけらしく、特に驚く様子は見せなかった。
「…まあ本当に強いのはそういうチームじゃないんですよ。あくまで試合として臨むチームにこそ真の強敵がいると思ってください」
実際に上位に行くほど死者が出る割合は低くなるとイルカは言う。その言葉こそが死者の数の多さを物語っていて、益々求馬の顔は引き攣った。
「イルカ……ちょっと聞いていいか?」
「はい?」
「この辺の風習といい食べ物といい、お前随分と詳しいが、もしかしてこっちに住んでいた事があるんじゃないか……?」
それはアスマだけの疑問ではなく、この旅の間にカカシも何度か考えた事だった。あまり他人に深入りすることは避けたいという思いがそれを口に出させなかったが、ずっと気になっていた事でもある。
聞きたいと顔全体で言っている求馬と、気の無いフリを見せるカカシ、そして興味深げに見守る帆足にも気づかぬ様子で、イルカはアスマに向かって先ほどと同じ言葉を口にした。
「――それは内緒です」
笑顔でそう言われてしまえば、誰も問い詰める言葉など持たない。話題は再び大会に関する事柄へと移り変わり、結局その疑問はあっさりと流されてしまった。
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